はじめまして。日本酒「敷嶋」製造元、伊東家 9 代目、伊東株式会社代表取締役の伊東優と申します。「敷嶋」は天明 8 年に伊東孫左衛門が始めた、愛知県半田市亀崎町のお酒です。歴史の項で詳しく記載していますが、旧伊東合資会社は平成 12 年(2000 年)に酒造免許を返上し廃業、200余年の歴史は一度幕を閉じました。しかし、令和 3 年(2021 年)に清酒製造免許を M&A にて再取得し、土地建物も買い戻すことで同じ地にて、同じ家の末裔が、酒蔵として復活致しました。
なぜ、また酒蔵をはじめたのか。それは酒蔵がある亀崎という地域の移り変わりを見て、伝統や地域を次の時代に繋ぎたいと思ったからです。この地域は醸造業や海運業、漁業などで栄えた町です。かつては酒処として灘・伏見に次ぐ産地として名を馳せ、大正時代には百貨店や劇場が 2 つあるなど、文化的にも商業的にも賑わっていた地域でした。しかし、明治時代に入ると酒税の負担が大きくなり、流通の肝が海運から陸運に代わると共に醸造蔵の数は減っていき、平成になり清酒消費量が大きく低下していく中で、町内に 30 以上あった酒蔵は1つ(盛田金しゃち酒造)だけになりました。
過去を知っている先輩方は仰います。「昔はすごかった」と。でもその一言が悔しくて。素晴らしい文化や歴史がそこにありながら、どんどん忘れられていく地域が沢山あります。亀崎もその一つになりかけていました。未来へ繋いでいくためにはどうすればいいのか。それは営みを続け、多くの人に知ってもらうしかない。そのためには酒蔵を復活させるしかない。そう思ったためです。
敷嶋は食中酒を目指しています。お料理をしっかり受け止めながらも後味を切らしていくお酒です。1+1=3 にするお酒、と呼んでいます。「ご飯を食べる」「お酒を飲む」という単独の事象の提供ではなく、「和食を楽しむ時間・空間」という一種のエンターテイメントを提供したいと思っています。それは、僕自身、ご飯を食べながら、お酒を飲みながら「幸せ」と感じる瞬間がたまらなく好きだからです。その瞬間があるから仕事を頑張れます。その瞬間があるから、同じことの繰り返しにもなりがちな日常が色鮮やかになります。この彩りを創り出すことの一端を担えたら、それほど幸せな瞬間はありません。
最後になりますが、我々は流行りものではなく、文化を創っていきたいと思っています。今はまだ創業間もない一清酒メーカーに過ぎません。例え大きな売上を残さなくてもいい。世の中の全員に好かれなくてもいい。でも、「敷嶋がなかったらこの素敵な時間は存在しえなかった」と、100 年後も 200 年後も言われ続けるような、そんな酒を創っていきたいと思っています。
敷嶋は、食のそばにあり続け、二百年後も定番の酒に。