歴史

「敷嶋」とはかつて愛知県半田市亀崎町の伊東合資会社にて製造されていた日本酒です。 伊東合資会社は天明 8 年(1788 年)に創業し、かつては全国に名が知れた銘醸蔵でした。お酒 の他、味噌・醤油業、薬屋、銀行の立ち上げなども手がけ、地域の産業に深く根差した複合企業としての側面も持っていました。

知多半島は、酒の名所だった灘・伏見よりも知多半島は関東への距離が近く、飢饉などでお酒 が不足していた際に、いち早く江戸に届けることができました。そのため、知多半島のお酒は「中 国酒(中部地方の酒)」として江戸で人気を博しました。 亀崎は、酒の一大製造地として江戸で知られ、その中でも同時期に人気だった江戸の国文学者 本居宣長の詞「敷嶋の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の枕詞から取られた「敷嶋」はその中でも支持を得ました。

大正 12 年(1923 年)には名古屋税務局監督局管内(東海4県・長野県・新潟県)で唯一「横綱」 に位置づけられるほど、中部地方を代表する酒蔵でした。

しかし、清酒需要の低下、手掛けていた卸会社の不調等から平成 12 年(2000 年)に 200 年を 超える歴史に幕を閉じることになりました。

しかし、令和 2 年(2020 年)、伊東家 9 代目伊東優の手によって、愛知県半田市の「敷嶋」は 酒造として復活を遂げたのです。 三重県名張市の福持酒造場様(銘柄:天下錦)にご協力を頂き、タンク 1 本の「敷嶋 0 歩目」 を誕生させました。規模は小さくとも大きな意味のあるお酒の誕生でした。

「0 を 1 に変える」「愛知県半田市亀崎の地にての酒造りが 1 からのスタートライン」

そういった想いを込めてその酒は「敷嶋 0 歩目」と名付けられました。また翌年も福持酒造場 様にて「半歩目」を製造。酒蔵復興を決意した 0 歩目、そしてその 1 歩目を踏み出す前の、僅かな、 でも確かな歩みを実感し、「半歩目」と名付けられました。

しかしながら、目標である半田市亀崎町での「敷嶋」製造復活には大きな壁がありました。

廃業時に清酒製造免許を返納しており、亀崎での酒造りについて、先行きが見えないところか らのスタートでした。
※需要と供給のバランスから新規免許は発行されておりません(2021 年 3 月末現在)

しかし幸運なことに、 令和 3 年 3 月。
「0 歩目」そして「半歩目」を踏み出し、様々な方に復活に向けた歩みを知って頂いたことをきっ
かけに、ご縁がご縁を呼び、2021 年 3 月に清酒製造免許を再取得することができました。

参考記事: https://jp.sake-times.com/knowledge/sakagura/sake_g-shikishima-ito

時同じくして、2021 年 1 月には、かつての製造場、本蔵と新工場を買い戻すこともできました。 そして 2021 年 12 月 1 日、20 年余りの時を超えて、半田市亀崎町に清酒「敷嶋」の製造元であ る旧伊東合資会社が現在の伊東株式会社として帰ってきました。その後、2022 年 6 月までにタ ンク 15 本のお酒を製造。再び時計の針は動き始めました。

ここまでの歩みはあくまでスタートラインです。 日本酒は日本の食文化の一端を担うものです。その文化を醸しだすことに誇りを感じています。

敷嶋は、食のそばにあり続け、二百年後も定番の酒に。

我々は今日もひたすらに旨い酒を醸し続けます。